バシュラールの生涯 【前編】

こんばんは。
トポフィリ展メンバーの松丸です。

展覧会開催まで2週間を切り、時計台内部の会場も着々と出来上がりつつあります。
ブログでもその様子をお知らせしていますが、今日は少し視点を変え、『空間の詩学』の著者、ガストン・バシュラールの生涯を簡単に紹介したいと思います。

『空間の詩学』は今回の展覧会の根幹となる著作ですが、どのような人物が書いたのか、ご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか。


ガストン・バシュラール1884年6月27日、フランスのシャンパーニュ地方、バール・シュル・オーブに生まれ、1927年に最初の論文を執筆、以降20冊以上の著作を発表し、1962年にパリでその生涯を終えます。
42歳の時に大学人として、やや遅めのキャリアをスタートさせますが、以降は精力的に著作を出版し、レジヨン・ドヌール賞や文学国家大賞を受賞するなど、客観的には順風満帆な生活を送っていたようです。

またご存じのとおり、バシュラールは科学と詩学という、一見相いれないようなジャンルにおいて研究を行っています。
こうしたユニークな姿勢は、もしかしたら、彼の特殊な経歴に由来しているのかもしれません。

そこで、今回はバシュラールの生涯の前半部、つまり彼が1927年に大学でのキャリアをスタートさせるまで生涯に注目したいと思います。


バシュラールが誕生し、その少年期を送ったのはバール・シュル・オーブという、自然の豊かな地でした。
この地への愛着は著作の中でも語られています。
次の文章は1942年に出版された『水と夢』の一節です。

 私が生まれたのは、川と小川の地方、小さな谷(ヴァロン)が多いせいでヴァラージュといわれる、谷の豊かなシャンパーニュ地方の一隅である。私のもっとも美しい隠れ場所といえば、谷間のくぼみ、滾々と湧き出る泉水のほとり、柳や水柳の低い木陰であろうか。そして十月どもなれば川面には狭霧が立ち込める……。(『水と夢 物質的想像力試論』及川馥訳、法政大学出版局、2008年)


コレージュ(フランスの中等教育機関)では入学当初から優秀な成績を修めていました。
周囲の人々はその姿に、同じくシャンパーニュ地方出身の啓蒙思想ディドロを重ねてみていたといいます。
当時、腕に抱えるほどの賞を学校から持って帰ると、それを見た父が涙を流して喜んだというエピソードもあります。

しかし、卒業後は一年間コレージュの自習監督として働いたのちに、郵便局で臨時職員として勤めます。
そして1906年から約一年間兵役に従事し、翌年には再びパリの郵便局員となります。

この頃同時にバシュラールは数学の勉強のため、大学の理学部に出入りしています。
実際に数学のリサンスを取得したのは1912年ですが、当時その資格を得るためには週に60時間の勉強が必要だったと言われています。
バシュラールは働きながら、これだけの勉強時間を確保していたのでしょう。


このように、バシュラールはコレージュを卒業後、職を転々としつつも独学でリサンスの取得に至りますが、この時点でバシュラールは28歳です。
42歳にソルボンヌ大学に博士論文を提出するまで、まだ間がありますが、今回はここまでにしたいと思います。(長くなってしまったので・・)

バシュラールの生涯【後編】として、近日中にまた更新しますので、お楽しみに!